越中富山の薬売り

ある日TVを見ていた時に松岡修造さんが出演している配置薬のCMが流れ、ふと、なんで薬って富山なんだろうと疑問に思いました。昔からなんとなく刷り込まれていたように思うので、”伝統なんだろう”程度で特に疑問に感じていませんでしたが、よく考えれば漢方薬に必要な薬草、鹿の角などの資源が黒部・立山連峰があるなど漢方薬の製造に適した土壌とはいえ、このような自然に恵まれた土地は日本全国どこでもありそうなものなのに…と思い調べてみました。

【富山といえば薬】

調べてみたところ、富山が薬で有名になったエピソードは江戸時代までさかのぼることになります。

富山藩の第2代藩主・前田正甫は自身も病弱なことから薬の開発に非常に力を入れていたようです。そして富山で最も有名な合薬である反魂丹(はんごんたん)を開発し、印籠に入れて常に携帯していたとのこと。

1690年のある日のことでした、江戸城で激しい腹痛を訴えた三春藩主の秋田輝季に服用させたところ、腹痛があっという間に治ったそうです。それを見た諸国の大名から、「ぜひ我が藩でも販売してほしい」と依頼を受けたのが富山が薬で名を馳せたことのはじまりだということでした。

そして、前田正甫の「用を先に利を後にせよ」という精神から、その後「おきぐすりの先用後利」の販売システムが生まれました。突然の体調不良で薬が必要となる場合、インターネットが発達した今現在でもかなり画期的な商法だと思いますよね。

【信用三本柱】

富山の薬売りには「一代限りと思うな。孫の代まで続けるという心がけで、真心をこめて対応し、誠を尽くそう」という言葉が語り継がれています。

それを実践するための「信用三本柱」という「商いの信用」、「くすりの信用」、「人の信用」が大切だと説く教えがあり、この3つのうち商品や商売の方法についての「商いの信用」「くすりの信用」という2つの信用はもちろん大切にされましたが、もっとも重要視されたのは「人の信用」でした。患者(顧客)の悩み相談に乗って、適切なアドバイスを行ったり、励ましたりすることで信頼関係を強く築いていったそうです。

「くすりを売るのではなく、人間を売れ。顧客は人間を見てくすりの信用、イメージをつくる」という考え方が、人材開発を促し、くすりの量産化につながり、さらなる販売の拡大をもたらしたのです。

昔も今もビジネスの発展の基本には信頼関係(エンゲージメント)を築く誠実さと信用が重要ということですね。

<参考> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%A3%B2%E8%96%AC
http://www.zenhaikyo.com/history/index.html#unique